また今度やろう、ってその「今度」が必ずあると思ってる?
自分も含めて人間とは悲しいもんだな…
普段は自分の生き死にについてなんてこれっぽっちも思いを馳せることなく多忙な日常に埋没され忙殺されている
ダンナのロードバイク仲間であり命の恩人(ここでは割愛するが実は過去に一見大したことではない転倒で大ダメージを受けて下手したら死んでたということがあった)でもある方の奥様が亡くなられて昨日通夜に行ってきた
以前より闘病中であることは聞いていたが亡くなられたのはその病気によるものではなく別件での入院でその処置は「大成功」であとは様子を見てそろそろ退院、という状況だったが不測の事態が発生してそのまま…とのこと
「退院したら美味しいもの食べに連れてけー٩( ´ω` )و」って話されてたり
入院中にお写真撮ってもらったものの(そのお写真が遺影として使われていた)「化粧道具がないから持ってきてー、持ってきてくれたら化粧するからまた写真撮ってー( ˙꒳˙ )」とも話されてたけどその後何回か持っていくの忘れてて次行く時持ってって写真撮ろうと思ってた
その次行くと思ってた日が仕事が休みになる昨日…まさかその日が…
そんなお話されてるのを聞いて
「やりたいことを今度やろうの今度が確実にやってくる保証なんてどこにもないんだな…」
と痛感せずにいられなかった
ここ何年かで通夜、告別式に参列することはあってそういうことを少しは考えることはあったけれどこの度は重くのしかかってきた
「お子様の晴れ姿(入学やらいろいろ)を見たい」「もっとたくさん旅行したりしたい」といった長期スパンだったり大がかりな願いが叶わないってことは結構あるんだろうな…とはわかってたけどこういった日常にごくありふれたささやかな願いすらある日突然叶わなくなるなんて今の今まで考えたことはなかった
美味しいもの食べたい
好きなこととことん楽しみたい
ゆっくりのんびりしたい
etc…
これらはその気になればいつだって自らの手で叶えられる願い
なのにそれをどうして知らず知らずのうちに先送りしようとするのか
今度やろうの「今度」があると漠然と思ってるから?
今度がある、って確実な保証はないんだよ??
いつやるの?今でしょ!←ここでまさかの林先生(そろそろシリアス文調に飽きた模様)
そんなことを考えたここ何日かであった
痛みがキツいと言われる病気であったのに眉間にシワも寄らず眠られるようなお顔であったことにホッとした…
謹んで哀悼の意を表し締めくくることにする
…なんで最後の最後でネタに走るかなぁ(´Д` ;)?←迸る失速感(?)